SNSで流れてくる、あの「寂しい夜の投稿」
Instagramのストーリーに、こんな投稿が流れてくることがある。
夜中の1時。暗い部屋の写真と一緒に、ひとこと。
「最近、なんか、寂しいな」
コメントもなく。タグもなく。ただそれだけ。
そういう投稿って、なぜかすごく目に刺さる。「寂しい」って書いてるのに、誰かに向けた言葉じゃないような気がして。むしろ自分に言い聞かせてるみたいで。
Xでも似たようなつぶやきをよく見かける。
「彼氏いるのに孤独ってどういうこと」 「会えない時間が愛育てるって言うけど、私には修行にしか感じない」 「連絡来ないだけで、なんで私こんなに不安になるんだろ」
これ全部、「弱い」ってことじゃないよ。でも、SNSを眺めながら(自分だけがこんなにしんどいのかな)って思っちゃう夜、あるよね。
② ストーリー|会えない夜を生きた、ある女性の話
マナさんの彼氏は、同い年のエンジニアで、地方へ単身赴任することが急に決まった。付き合って1年半、同じ電車で通勤していた二人が、突然300キロ離れることになったのだ。
「最初の2週間は、毎日ビデオ通話してたんですよ」
マナさんはそう話しながら、少しだけ笑った。でもその笑い方が、どこか遠くを見ているような感じだった。
「でも彼が向こうでの仕事に慣れてきた頃から、通話が週1回になって。LINEも”おやすみ”だけになって。私はまだ毎日(今日どうだった?)って聞いてたんですけど…なんか、返事が短くて。既読ついてから30分後に”普通だよ”って来るような感じで」
(普通だよ、か。その文字で夜眠れなくなる気持ち、わかるよ。)
布団の中でスマホを握りしめながら、マナさんは毎晩いろんなことを考えた。「忙しいだけ?」「冷めた?」「もしかして向こうで誰かに…」——最悪の想像を、自分で打ち消して、また浮かべて。
喉の奥がじんわり熱くなる感覚が、毎晩続いてたって。
「友達に話しても、”遠距離あるあるだよ”って言われるだけで。それはわかってるんだけど、それを聞いてもぜんぜん楽にならなくて。むしろ(あ、私の話、重かったかな)って思って、それ以上話せなくなった」
その孤独のループ、誰かに言えばいいほど言えなくなる感覚。SNSに漂う”あの夜の投稿”と、まったく同じ匂いがした。
マナさんの転機は、ある金曜日の夜だったという。
いつものように彼への「今日どうだった?」が既読スルーされて2時間が過ぎた頃、マナさんはひとつのX投稿に目が止まった。
「遠距離で一番しんどいの、寂しいより”自分だけが必死な気がする”って感覚だと思う」
画面を見たまま、しばらく動けなかったって。
(これだ、これが言いたかったことだ)
自分の心の中にあったのに言語化できなかったものが、見知らぬ誰かのつぶやきの中に全部あった。手が震えたとか大げさなことはなかったけど、なんか静かに涙が出てきて、マナさんは布団の中でひとりで泣いたという。
その週末、マナさんは初めて彼に「ちゃんと話したい」とLINEした。
電話で、泣きながら話した。
「私、最近しんどかった。寂しかったっていうより、自分だけ必死な気がして、それがしんどかった」
彼は黙って聞いていて、しばらくして「ごめん、気づかんかった」と言ったという。責めるでもなく、庇うでもなく、ただ「気づかんかった」と。
その言葉が、なぜかすごく、沁みた。
③ 分析|「寂しい」をSNSに流す私たちが本当に求めているもの
マナさんの話を聞いていて、ずっと気になっていたことがある。
なぜ、「寂しい」と友達に言えなかったのに、SNSには投稿できるのか。
これ、令和の恋愛の構造的なテーマだと思う。
SNSに漂う深夜の「寂しいな」は、誰かに解決してほしいわけじゃない。ただ、自分の感情を「存在させたい」んだよね。言葉にして、世界のどこかに置いておきたい。そういう、ものすごく繊細な行為なんじゃないか、と。
近い人に言えないのは、「重い」と思われるのが怖いから?それとも、近い人に言うと「現実の話になる」から?
…そこが、怖いのかもしれない。
「遠距離がしんどい」を彼に言うと、それは「別れの話し合い」になるかもしれない。だから言えない。でもSNSに流すなら、それはただの”つぶやき”で終われる。解決策を求めない安全地帯。
令和の私たちは、SNSの中に「感情の逃げ場」を作って生きている。
「自分だけが必死」という孤独の正体
マナさんがX投稿に刺さったのは、「寂しい」じゃなくて「自分だけが必死な気がする」というフレーズだった。
この感覚、遠距離じゃなくてもある。
普通に付き合ってても、「なんか私ばっかり連絡してる気がする」「私のほうが好きすぎる気がする」「重いって思われてるかな」…
これ全部、「愛情の非対称性」に対する不安。
片方が60で、もう片方が40。それは別に不健全じゃない。でも、「私が60で相手が40」だと気づいた瞬間に、胸の奥がざわざわする。そして(このままでいいのかな)という問いが、夜になるたびに顔を出す。
SNSで「自分だけが必死な気がする」が何万インプレッションを叩き出すのは、それだけ多くの人がその不安を抱えているから。ただ、誰も言えずにいるだけで。
「寂しい」を言えた夜に起きたこと
マナさんが彼に「寂しかった」と伝えた夜のことを、私はずっと考えている。
「泣きながら電話した」というのは、すごくダサくて、すごくリアルで、多分すごく正解だったんじゃないかと。
完璧な言葉で、完璧なタイミングで、完璧に気持ちを伝えようとするほど、言えなくなる。でも「もう無理、話したい」ってなったとき、人は初めてちゃんと話せたりする。
令和の恋愛は、SNSで感情を可視化しすぎて、逆に「どう伝えるか」を考えすぎるようになっているかもしれない。
「重くないか?」「タイミング悪くないか?」「こんな伝え方で合ってるか?」——考えてる間に、伝えたかったものがどんどん薄まっていく。
マナさんが泣きながら電話したのは、分析より感情が先に来たから。それだけのことで、でも、それが一番届いた。
「会えない寂しさ」が問いかけてくること
会えない時間が長くなると、「この恋愛って正しいのかな」って考えるようになる。
でも実は、その問いは「正しいかどうか」じゃなくて、「自分はちゃんと愛されてるか」という根っこの問いだったりする。
「会えない時間が愛育てる」という言葉は、育てようとしている間だけ、本物になる。放置して自然に育つ愛情なんて、たぶんない。
寂しいと感じること自体は、弱さじゃない。寂しいと感じる=それだけ大切に思っている、ということでしょ。
ただ、その寂しさを「不安」に変換したまま抱え込み続けると、じわじわと自分が消耗する。それだけは、覚えていてほしい。
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