好き避けを治したい人が自分から動けるようになる逆張りの一手

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好き避けは治そうとするほど余計に動けなくなる

好きな人の前でだけ、おかしくなる。
廊下で目が合いそうになると、なぜか視線をそらす。話しかけようと思うのに、いざ近づくと急に用事がなくなったフリをする。LINEの返信を一時間かけて考えて、送れなくて結局消す。
自分でわかってる。これが好き避けだって。
好きだから避けてしまう。でも避けてたら何も始まらない。わかってるのに止められない…
で、調べると出てくる。自信をつけましょう。緊張しないようにしましょう。相手をじゃがいもだと思いましょう、と。
全部、試した人は知ってる。効かない。緊張しないようにしようとするほど、緊張する。自信をつけようとしても、好きな人の前では一瞬で吹き飛ぶ。治そうとするほど、余計に動けなくなる理由を話す。

治そうとするほど好き避けが加速する、皮肉な構造

心理学に皮肉過程理論という現象がある。
シロクマのことを考えないでください、と言われると、シロクマのことしか頭に浮かばなくなる。緊張しないようにしよう、とするほど、緊張が前に来る。好き避けしないようにしよう、と意識するほど、好きな人の前での行動に余計な意識が乗って、体が固まる。
治そうとする意識が、好き避けを加速させる。9割の人がここで沼にはまる。自覚してるのに止められない、という状態の正体がこれ。
治そうとするアプローチ自体が間違ってる。逆をやる。好き避けを治すんじゃなく、好き避けが発動する前に一手を打つ設計をする。この発想の転換が、全てを変える。

自信をつけてから動こうが、永遠に来ない理由

自信がついたら動こう、と思ってる人に正直に言う。
好き避けをしてしまう人の自信は、好きな人の前でだけ消える。それ以外の場所ではそこそこ自信があって、普通に話せて、友達の前では冗談も言える。なのに好きな人の前でだけ、全部飛ぶ。
これは自信の量の問題じゃない。好意という感情が上乗せされることで生まれる、失敗への恐怖の問題。自信をつけても、好意が上乗せされた瞬間に恐怖が上回る。だから自信をつけてからでは、永遠に動けない。
自信がない状態でも動ける一言を、先に持っておく。これが、逆の発想。

好き避けで関係を終わらせた、あの時の話

ここで実際のかなり恥ずかしい話をする。

完璧に避け続けて、完璧に終わった経験

二十代の半ば、同じプロジェクトに入った男性に気づいたら好きになってた。
最初は普通に話せてた。業務の話をして、たまに雑談して、そこまで意識してなかった。でもある会議の帰り道に、ふと気づいた。あれ、この人のことずっと目で追ってる、と。
その瞬間から、終わった。
翌日から、廊下で会うと急に書類を見るフリをした。名前を呼ばれると、過剰なくらいビジネスライクに返した。LINEでグループの連絡が来るたびに、業務的な返信しかできなかった。一個人としての言葉を、何も送れなくなった。
好きだから、ちゃんとしなきゃ。でもちゃんとしようとするほど固まる。どうすればいい…
三ヶ月後、彼は別の女性と仲良くなってた。その女性はグループLINEで冗談を飛ばして、ランチに誘って、普通に近くにいた。それだけだった。特別な戦略も何もない。ただ普通にそこにいた。
私は三ヶ月かけて、完璧に消えた。避けることで守ろうとしてたものが、避けることで全部なくなった。

好き避けをやめた瞬間、何が起きたか

その経験から数年後、また似たような状況になった。
気になる人ができて、また同じ癖が出始めた。目をそらす、固まる、言葉が出ない、のループが始まりかけた。
あの時のことを思い出した。三ヶ月で消えた経験を。
今回だけは違うことをやろう、と思った。好き避けを治そうとするんじゃなく、発動する前に何か一言だけ先に置こうと。難しいことじゃない、一言でいい、と自分に言い聞かせた。
ある日、エレベーターで二人になった瞬間に、今日の会議長かったね、とだけ言った。それだけ。特に意味もない一言。でも言えた。
向こうが笑って、ほんとに、であの議題いる? ってなった、と返してきた。その十秒が、三ヶ月の沈黙を破った。

9割がやらない逆の一手は、好き避けが発動する前の一言を先に決めておくこと

じゃあどうするか。治そうとする全員と逆をいく。

好き避けが起動する前に打てる、具体的な一言

具体的に言う。
好き避けは、好きな人を前にした瞬間に発動する。発動してからは手遅れ。体が固まって、言葉が出なくて、視線がそれる。この状態から無理やり動こうとしても、余計に意識が強くなって悪化する。
だから発動する前に動く。その場に来る前に、今日この人と会ったらこれを言う、という一言を先に決めておく。
内容は本当に軽くていい。今日暑いね。昨日の件ありがとう。あの資料、見てみたんだけど。業務的でもいい。それどころか業務的な方がいい。感情が乗った一言より、情報として送れる一言の方が、好き避けが起動しにくい。
9割の人は、その場で何か言おうとして固まる。その場で生み出そうとするから、プレッシャーになる。事前に一言決めておけば、思い出して言うだけになる。作業に変えてしまう。

好き避けが発動した後にやる、唯一の一手

それでも発動することはある。ちゃんと言うよ、ある。
固まってしまった後、視線をそらしてしまった後。その時にやることが一個だけある。
次に会った時に、さっきなんか変だったね、と一言添える。深刻に謝らなくていい。ただ、変だったのは自覚してる、という一言だけ。
なぜこれが効くか。好き避けをされた側が一番困るのは、意味がわからないこと。冷たくされたのか、嫌われたのか、何かしたのか、が全部不明のまま宙ぶらりんになる。さっき変だった、と自分から言うことで、少なくとも相手が混乱する時間が止まる。
これ、誰もやらないんだよ。恥ずかしいから。でも恥ずかしいと思ってること自体を出すと、人は思ってるより受け取ってくれる。

なぜ発動前の設計が好き避けより強いのか、心理の裏側

理由なき逆張りは暴論。話す。

好き避けの正体は、失敗への恐怖が引き起こす回避反応

好き避けをしてしまう構造を、もう少し深く話す。
好き避けは、この人のことが好きだという感情が大きくなった時に起動する。感情が大きいということは、失敗した時の痛みも大きい、という計算が脳の中で走る。嫌われたら怖い、変に思われたら終わり、という恐怖が無意識に走る。
その恐怖から身を守るために、近づかない、という回避行動が出る。これが好き避けの正体。嫌いなんじゃない。好きすぎて、失う恐怖から逃げてる。
ここで大事なのが、失敗への恐怖は感情の大きさに比例するということ。だから好きな気持ちが大きいほど、好き避けが強くなる。好きという感情を小さくするわけにはいかない。だから別の場所を変える。失敗のハードルを下げる。
今日の会議長かったね、という一言が失敗しても、何も失わない。失うものが小さい一言から始めると、恐怖が起動しにくい。

小さい成功体験の積み重ねが、回避パターンを書き換える

行動療法に系統的脱感作という手法がある。恐怖の対象に、小さいものから順番に慣らしていく、という方法。
高所恐怖症の人に、いきなり高いビルに連れて行かない。まず低い場所から慣らす。少しずつ高さを上げていく。
好き避けも同じ構造。好きな人にいきなり告白を、じゃなく。まず業務的な一言から。次に少し個人的な話を。次にご飯の誘いを。階段を一段ずつ上がる。
一段ずつ上がると、言えた体験が積み重なる。言えた体験が積み重なると、次の一段への恐怖が少し薄れる。好き避けは性格じゃなく、言えなかった体験の積み重ねが作ったパターン。だから言えた体験の積み重ねが、逆方向にパターンを書き換えていく。

緊張してること自体を伝えると、緊張が武器になる

これは9割の人が知らない話。
緊張してると、それを隠そうとする。隠すために余計なエネルギーを使う。隠そうとするほど、緊張が大きくなる。
逆をやる。緊張してること自体を、相手に伝えてしまう。なんか緊張する、と一言。変に思われるかもしれない、という恐怖があるかもしれないけど、実際に受け取った相手はどう感じるか。
私は、言われた経験がある。好きな人に緊張するって言われて、可愛いなと思った。それだけ。舐められなかった。むしろ、この人は私の前で正直に出てくれてる、という信頼感が生まれた。
緊張は弱さじゃない。相手に出す時、それは正直さになる。好き避けで固まってる状態より、緊張してると伝える状態の方が、関係が動きやすい。

覚悟すべきリスク、動いた先にある現実

一言出した後に来る、最大の恐怖

発動前の一言を出した後、最大のリスクが来る。相手の反応が読めなくなる、という状態。
避けてる間は、少なくとも傷つかない。相手に何かを伝えてないから、拒絶される可能性がない。動いた瞬間に、初めて拒絶の可能性が生まれる。これが好き避けを続けさせる最大の理由。
正直に言う。動いた後に相手の反応が薄かった時は、痛い。避け続けてた時とは違う種類の痛さが来る。避け続けてたのは、この痛さを先延ばしにしてただけ、でもあった。
ただ、三ヶ月かけて完璧に消えた経験と、一言出して相手の反応を見た経験。どっちが今の自分を楽にしてくれてるか。答えは出てる。

治らない可能性と、それでもいい理由

好き避けは、好きな人の前で完全になくなることはないかもしれない。
好きな人の前で少し固まる、目をそらす、言葉が出にくくなる。これは好きだという感情の強さの証拠でもある。感情がない相手には、好き避けは起きない。
治そうとするんじゃなく、発動しても一言で動けるようにしておく。固まっても、次の会った時に一言添えられるようにしておく。完璧に治さなくていい。好き避けしながらでも、少しずつ動けるようになればいい。
好き避けをなくした自分じゃなく、好き避けしながらでも動ける自分になる。その目標の方が、現実的で、続く。
あの三ヶ月で消えた経験が、今でも教訓として生きてる。避け続けた代償は、関係そのものだった。一言の重さを、あの時ほど痛く感じたことはない。

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